雪の女王を見ています。

シークレットガーデンがらみで雪の女王を見ています。ヒョンビンがハンドックだったなんてシークレットガーデンを見てから思い出しました。雪の女王は前はソンユリが目当てで見ていたので男優はあまり気にしませんでした。そうしたら私の名前はキムサムスンの御曹司もヒョンビンだったなんて後でまた見直すつもりです。
雪の女王なんですが先回見たときはその物語の悲しさに胸つぶれることが多かったのですが今回は少し冷静に見られようになりました。
最初に感じたのは人は言葉一つで悲しくなったり嬉しくなったりする物なんだなと言うことでした。
何気ない言葉で激しく傷ついてしまう、すごく癒やされてしまうそう物なんだと言う思いでした。
そんなことを考えると今まで自分がしてきた発言がどんなに人を傷つけたか考えると恐ろしいです。
そんなことを考えつつ物語を見ていくと、先回見たときも感じた疑問、なぜこの物語をハッピーエンドでは無くあんな悲しい終わり方にしてしまったのかと言うこと答えがすこし見えてきたように思います。それは「私の期限は49日」とか「明日に向かってハイキック」ような悲しい結末のドラマを見て鍛えられてしまったからかもしれませんが。
韓国の人は死という物をもちろん悲しい物としてとらえているのですが、他方その人の死という物が残された人にとって良い方向に向かわせる物であればそれはまた決して悲しいだけの物ではなく、人生を駆けてやり遂げた立派な業績としてとらえているように思われました。
と言うことでいかにすばらしい死を迎えるかという視点でドラマを見ることができればどんな悲しいドラマでもそこには満足感を感じるのではないかという答えを見つけたように思います。