まだまだホタルノヒカリで遊んでいます。 本家からのコピーです。

ホタルノヒカリを一生懸命見ていた1年半前にはこんな事を考えていたんだなと懐かしくなりました。2011年5月7日の更新です。




まだまだ「ホタルノヒカリ一気に見たい症候群」の熱がさめやらぬ中ホタルノヒカリで遊んでみたいと思います。

2の方最後の方で気になる言葉があります。

ぶちょーさんがホタルさんに向かって「自分の幸せだけを考えろ」とか「自分はどうしたいかを考えろ、私のことはいいから」とちょっと冷たいと思われる言葉を投げかけています。

でもこれには理由があって「自分にとってなにが本当の幸せかわからないようでは他人を本当に幸せにできない」という

ぶちょーの哲学があってのことと納得させられてしまいました。

ぶちょーはホタルさんがぶちょーとあの縁側にいて一緒にビールを飲ことが幸せと錯覚している事をお見通しで、本当の幸せとはなにかを考えて気づいてもらおうとしているのではないか、ぶちょーはすでにホタルさんの本当の幸せは何かというのは9話のあの手紙でもう気づいていて、それだからこそ「一生おまえの縁側になる」と宣言してホタルさんの元に返ってきました。

ぶちょー自身の本当の幸せとは何かを知らせようとしてました。

それでは「一生縁側になる」とはいったいどうことなのか?

その答えをホタルさんは何とか導き出しました。

最終話で台湾に行くかどうかを答えるときチュウーしてから話しますといったあとのあの内容、私は一生干物女かもしれないけれど一生ぶちょーを支えて一緒に生きていきたい、それが私の幸せ、私もぶちょーの縁側になりたいと。

ぶちょー会心の結末、あのホタルさんの話を聞いているときのぶちょーのうれしそうな顔は忘れられません。

今回のホタルノヒカリ2の物語は結婚とはというのがお題としてありました、幸せな結婚とは何かを考えさせる物語でした、相手のために自分の変えようとか、我慢しようとかいろいろなケースでいろいろなことを考えさせられました、でも案外答えは単純で「一生支え合いながら生きていく」それがお互い幸せと思えるかどうかといったところなのかもしれません、私もまだよくわかりません。

ホタルノヒカリにはまだまだおもしろい仕掛けがちりばめられていて、見直すたびにそうだったのかとある意味自分勝手な解釈で楽しませてもらっています。

今注目しているのは、1の方でクライアントの結婚式でしたぶちょーのスピーチ、グレタガルボでしたかニーチェ

の言葉の「美しい老夫婦」、「思いは言葉にしないと〜」のところと、{ナゼまこと君ははホタルを振ったのか(キーワードは部長が一番)部長の名前は誠一}など、

改めて2を見てから考えると、まだまだ突っ込みどころがいっぱいあり楽しめそうです。